寶's profile空虚の戦場 ~僕たちは小さな船、誰一人も救えない...PhotosBlogListsMore Tools Help
    10/9/2006

    ホウちゃんが生活をダメにしたのか、生活がホウちゃんにだめにしたのか

        雨还在不停的下,下班的阿宝,狼狈的像只遭弃的猫仔,只剩瑟瑟发抖的力气了。好像东京的天气,一下子突然转冷的样子,完全没有防备的阿宝依然短袖T-恤一件如常,就算感冒,也不奇怪。自作孽,不可活,呵呵,古人说的话,总是有道理。

        昨晚(今晨??)真的醉了,都忘了自己是怎么回到家的了。睁开眼时已经下午一点半了,想起三点还要上班,赶紧起来洗个澡,边洗边在想,自己怎么堕落到了这种地步,真是失败。头痛得要死,手机怎么找也找不到,原来是忘在厨房的地板上,可怜的家伙,跟了个不负责任的主人,受了一年的煎熬,也是时候换了吧。可是不知道该去au还是Softbank,反正Docomo,阿宝已经有点厌倦了。可是酒精还是在阿宝的血液里捣鬼,直到晚上都感觉身体微热微热的,看到阿宝的人都说阿宝脸红红的,还担心是不是发烧了。下午的F1铃鹿站,Kimi好像输掉的样子,看到阿龙索上窜下跳,好像只猴子。整个下午店里的电视都被棒球比赛占领了,一点喘息的机会都没有,所以只能从她的短讯里知道个大概。有点失望的样子,可是也没办法,这世上的事,本来就不是你想怎样就怎样的,问题就在你怎么想了,总之别太为难自己,别和自己过不去就对了。道理虽明白,可阿宝却做不到。一个字: 笨

       

        扳扳手指,看看日历,如果一切顺利的话,距离下次回国的时间,应该还剩4个月。仅仅4个月,整整4个月,修饰词变一变,这微妙的距离到底是长还是短,阿宝自己都疑惑。在这之前必须完成毕业论文的发表,还有在留资格的变更,欠着区役所十几万的国民健康保险金都不知道要怎么办,麻烦事情一大堆,一个头有两个大。所以有时候故意选择逃避现实,不去想就没事了,可是怎么才能不去想呢?答案只有一个,酒精。岛田说的没错,喝醉后的自己是最快乐的,脑袋里不会有多余的空间去想起他的事。不过,其实,已经到了逃避不了的地步了,阿宝比谁都清楚。被酒精浇灌后的自己,思维很简单,单单考虑怎么用剩下的力气爬回自己床上就够了。问题是清醒之后,睁开眼死盯着这空无一人的房间的天花板,阿宝知道,哪怕是一分一秒对自己来讲都是莫大的煎熬。可是却无能为力,阿宝也知道,自己的世界不受自己主宰,现实比较强,阿宝只有认输的份。

       

        前天好像是中秋节的样子,陆续收到些短讯,先是母亲的,下午是她的,晚上竟然是大学同学的(讽刺的是开学后连一次面都没见过),好像这个世界上忘了今天是中秋的就只有阿宝一个人。中秋节快乐!可惜大家祝福的是个永远也无法达成的愿望。中秋是合家团圆的日子嘛,七夕是情人相聚的日子嘛,谁都不用告诉阿宝,可是不能在一起的话,说什么也没用,做什么都徒劳。阿宝要这样的祝福有什么意义?阿宝该会应声苍白无力的谢谢,还是应该感慨着无语,唉,何必又让阿宝做这种没有必要的选择呢。所以阿宝宁愿选择忘记。一个连自己生日都无视的人,还会去介意今年中秋该吃什么月饼,元宵该吃什么汤圆吗?是阿宝没说过,还是谁都没听见,节日这种东西,对阿宝来讲更本就没有意义(除非是为了自己在乎的人)。节日本身的存在价值,充其量也只不过是人类饕餮的借口,说到底,还不是人发明的东西。唉,阿宝怎么越来越没有生活情趣了,出家做和尚算了。

       

        今晚的酒精好像纯度比较低的样子,大脑总算还能保持正常思维。不过肉体疲倦了,所有有点困了。

       

         突然想起了大姐头的话: “是我糟蹋了生活,还是生活糟蹋了我”

     

    10/4/2006

    存在感

     
     
     たまに自分の強さと弱さに溺れそうになる。
     何でもできる、わかる、読めてしまう自分。
     いや、
     何でもできると思ってしまう自分、
     わかると思ってしまう自分、
     読めていると思ってしまう自分。
     悲しい自惚れは本音を
     他人にさらけだせば消えてくれるのだろうか?
     本当の自分をさらけだした時、
     暴かれた自分の事実に僕は耐えれるのだろうか?
     そこまでのリスクを背負い本心を
     さらけだす理由なんてあるのだろうか?
     そこまで覚悟してさらけだした本心さえ
     自分を偽ってないという証拠さえないのに・・・
    10/1/2006

    企業経営の原理を求めて

     人間は自らの存在理由を問う唯一の動物である。何故私は生まれてきたのか、何故私は生きているのか、何故私は死んでしまうのか。この根本的な問に古来多くの先人達がとりつかれ苦悶してきた。究極的には人間の存在など無意味であると分かっていても、それでもなお問わざるを得ない。それが人間なのだ。

     企業もまた同じである。意味を求めてさ迷い続ける宿命を持つ人間の集団だからだ。しかも人間以上に、企業にとって存在理由は決定的に重要である。人間は人生を遣り過ごす事ができる。無為に過ごすための仕掛けは私達の周囲に溢れている。マスメディアから流れては消えゆく情報、他愛もないお喋り、束の間の目的を設定してくれる娯楽・・・これらは一時的な欲求を満たすための消費である。興味関心の対象は目まぐるしく移り変わり、しかもその本質を問う事はない。これらの仕掛けそのものが逆に人生の無意味さを物語っているようでもあるが、そのなかに埋没しても人間は生きていける。しかし企業は違う。企業は存在理由を持たなければ、崩壊する。何故なら企業は人がより豊かに生きていくために、そして、自分の存在意義や誇りを確かめるために、人によって意図的に作られた集団だからだ。無為に遣り過ごす事はできない。個人と個人が目的や考え方を共有しなければ、存続できない。


     このことに多くの企業は本能的に気付いている。しかし多くの場所、理念を作っても、それは歴史的本質を捉えておらず、世間の表層的な流れに追従し、かつ、現実認識に根ざしていない。このように作られた理念は現実には適応できず、日常の行動には反映されない。その結果、現実を踏まえて醸成される事もなく、いずれ忘れられていく。せいぜい、お題目として飾られるぐらいだ。


     僕達の理念は、耳に心地よい言葉を並べたものではない。「自分達が本当に何をしなければならないか」ということを、人のあり方や、歴史の流れにまで遡って考え、生き残るため、社会から求められ続けるために、日々必死に仕事をする中で生み出されてきたものだ。社員の一人一人は、日々の判断、行動の中で理念を発揮し続け、今ある理念に安住することなく、更に現実の中で磨き続けていく。だからこそ、僕達の理念は、僕達のあらゆる企業活動の実質的なベースとなり、力となるのだ。